吉田知那美選手|女子カーリング

カーリング

吉田知那美選手のプロフィール

出身地:北見市常呂町
ニックネーム:ち~たん
生年月日:1991年(平成3年)7月26日(2018年現在 26歳)
身長・体重:157cm/53kg
血液型:A型
趣味:一人旅、絵や写真撮影が得意
好きな食べ物:いちご
好きな映画:ショーシャンクの空に
所属:ネッツトヨタ北見(株)
所属チーム:ロコ・ソラーレ(LS北見)【サード】担当
家族:三姉妹の次女。三女は同チームの吉田夕梨花選手。
(長女は吉田菜津季さん=カーリングの選手)
父は漁師で母(吉田富美江さん)は2002年の全日本カーリング選手権で優勝した凄い選手でした。

吉田知那美選手は、7歳でカーリングを始めました。(妹とはいつも一緒にいたので、同時期にカーリングを初めています。)
常呂中学時代には、鈴木夕湖選手、吉田夕梨花選手、小野寺佳歩選手と常呂中学校ROBINS(後の常呂JJ)を結成、そこでスキップを学んで才能を発揮したそうです。
2006年3月に日本選手権でオリンピック代表チームだった「チーム青森」に勝利して3位入賞。

高校卒業後はカナダに留学しましたが、偶然にもホームステイ先がカーリングのコーチのフジ・ロイ・ミキさん宅でした。
恐らく母親の密かな計画に違いないと思いますが・・・。
この出会いによってカーリングへのモチベーションは上がったと言われています。
フジ・ロイ・ミキさんは後の北海道銀行フォルティウスの監督に就任しています。

2011年:北海道銀行フォルティウスに入団。
2013年12月:ソチ五輪正解最終予選でノウルエーに逆転勝ちし、五輪出場を勝ち取る。
2014年2月:日本代表チームとしてソチ五輪に出場、急病となったセカンドの小野寺選手の代役で参戦し、長野五輪以来16年ぶりの5位入賞に貢献しました。

この時の気持ちを吉田選手本人は・・・。

1戦目(韓国戦)の前日にセカンドでの出場が決まり、今までリザーブとして何もしてこなかった訳ではないと証明したかった

しかしその試合後、コーチとの個別ミーティング時に「来シーズンのチームに知那美はいない」戦力外通告(自由契約通告)を受け、失意のうちに退部、一時は北海道を離れて2か月間一人旅をしました。(これは海外の大型選手に対抗するべく、チームの強化方針が理由だったのです。)
当時の選手全員のインタビューが行われましたが、その場で吉田選手は涙を流しながら、いい勉強をさせていただいたチームと語っていましたが、戦力外通告のことは、まだ本人しか知らなかったのです。
その頃のことを吉田選手はこう振り返っています。

頭の中が真っ白になり、引退も考えた・・・

これは辛かったと思います。
貢献できたと思っているチームからいきなりの通告ですから・・・。
地元に戻ってからは、リンクに上がる姿や練習をしている姿を見られるのも辛く、誰もいない時間を見つけては密かに練習をしたそうです。
そして、その姿を見た本橋選手から誘いを受けたのです。

一緒に日本代表を目指してもう一回やろう
五輪の経験をロコ・ソラーレで生かしてほしい

吉田選手は考え抜いた末に2014年6月、「LS北見」へ正式に加入したのです。

自分を信じてくれた本橋さんの右腕としてもう一度力になりたい

その後のトレーニングではブランクを埋めるべく筋力、体幹・股関節まわりの強化を急ピッチで行ったそうです。

吉田選手が起爆剤になってくれたことが功を奏し、チームは上向き始めたのです。
加入した2015年の日本選手権では3年ぶりの準優勝を獲得、そして、いよいよ藤澤五月選手が加入することによってチームは加速していったのです。

平昌五輪での笑顔

・平昌五輪では、テレビカメラに向けてアニメ「ラブライブ」に登場するキャラクター(矢澤にこ)の「にっこにっこに~」の決めポーズをしたことからSNSサイトで話題となりました。
・姉妹はチームのムードメーカーだと小野寺コーチが認めています。

吉田知那美選手の笑顔はほんと素敵ですね!
でも、その笑顔に隠された過去の壮絶な絶望感を想像すると、切なくなってしまいますね。
今は元気になられてのご活躍は本当に良かったと思います。
また、妹さんとも一緒に競技できることは素晴らしいことですよね。
どうか、お怪我などされぬよう競技生活をエンジョイしてください!

本橋主将との関わりの中で思っていること

・カーリングだけが人生じゃなく、人生の中にカーリングがある。
・新しいカーリングの向き合い方をこのチームで教えてもらった。
・近くに本橋(キャプテン)がいることが財産。

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