人口約4000人の常呂町は日本のカーリングの聖地と呼ばれています。
これまで約20人のオリンピック出場者を輩出していますが、1998年の長野五輪以降の代表は全て常呂町から輩出したそうです。
※常呂町では小学生~高校生までカーリング授業が行われており、町民の5人に1人はカーリング経験者だそうですね!
常呂町でのカーリングは、1980年にカナダ・アルバーター州の姉妹交流として池田町でカーリング講習会が開催され、そこで初体験をした故小栗祐治さんは、男女問わず幅広い世代が楽しめるカーリングの魅力を伝えようと、手作りの屋外リンクを作ったりしたとのこと。その後、1888年の「はまなす国体」を機に日本初の屋内専用施設がオープンしました。
吉田知那美選手が小学校2年の時、小栗さんに誘われてカーリングをすることになりました。
実は、小栗さんが教えた最初のチームに今の吉田知那美選手がおり、小さい時から素質があったそうです。
ソチ五輪での吉田選手の活躍を見た時は本当に嬉しかったそうで、4年後の平昌オリンピックには是非行ってみたいと楽しみにされていたとか。
ところが、残念なことに2016年5月に88歳で他界されました・・・。
常呂町で育った選手は、常呂町にスポンサーが少ないという現実から、カーリングチームが存在する事業団(長野や青森)に流出しているのが現状だったようです。
本橋選手がロコ・ソラーレ(LS北見)を創部し、スポンサー探しに奔走している時、「五輪に出るような息の長いクラブでないとスポンサードはしない」という声を聞いたそうです。
つまり、それまでのカーリング業界は4年サイクルが一つの区切りとなっており、選手たちの引退や休養が繰り返されていたのです。
そんな中、選手が変わっても継続されるチームこそが求められていたことを知り、本橋選手は、強さ+地元のシンボルとしていつまでも愛されるチームを作ろうと考えたとか。
素晴らしい環境を振り返ると、そこには必ず先駆者がいらっしゃり、壮絶なご苦労をされたはずです。
その先駆者は、故小栗祐治さんであり、本橋麻里選手でもあり、常呂町の方々、スポンサーの方々ではないかと感じました。
故小栗祐治さんにつきましては、北海道を世界に知っていただくことができたことに深く感謝し、ご冥福をお祈り致します。
また、今後はカーリングを通して、北海道の魅力を伝えることが出来ますようにロコ・ソラーレを応援していきたいと思います。
そして、常呂町には更なる繁栄が有りますように・・・。
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